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インターネットから調べた 四十九餅の色々

大阪自治布教団編



Q26、なぜ「四十九餅」を作るのですか?

http://www.cable-net.ne.jp/user/terao-ji/tera81.htm#Q26

常明院(寺尾慈教)   曹洞宗 滋賀県

A26、人が亡くなって、四十九日間を中有または中陰といい、特に四十九日目の満中陰には、中陰最後の法要を営み、四十九あるいは五十の餅を作って死者の往生を祝います。
 この四十九餅を供える由来については、幾通りかの説があります。
 『福田纂要』によると、四十九の餅は人間の大骨と血肉を表しており、滴中陰を過ぎると中有から他界に移る死者の五体五輪を、これらの餅で支え助けるのだといわれています。
 また、死者が地獄などの世界に行ったとき、手足など身体のあちこちに釘を打ち込まれるので、この四十九日餅を作って地獄の冥衆(鬼類)に献ずることによって、釘が餅に当り、死者が苦痛を受けずにすむともいわれます。
 あるいは、四十九の小餅は参会者や親族に配って食べてもらうことで、死者の身体の節々に打ち込まれた釘が抜けるともいわれます。
 四十九餅は、ひと臼の餅から四十九の餅と少し大きめの餅を一つ作り、満中陰の法事のときお寺に持参して、位牌の前に供え、大きめの餅だけはお墓に持って行き、親族が少しずつ指でちぎって、塩をつけて食べます。
 また、地方によっては、五十個の餅をお寺に持参しますが、それは途中で鬼に一個取られてしまう場所があるからだとか、または五十個の餅を作り、一個はお寺の前で兄弟が引っ張り合ってちぎり、後方へ投げる(兄弟餅)のに用いるとするところもあります。
 いずれにしても、四十九餅は、古代インドから行なわれてきた、死者を祖先の位まで到達させるための儀式が、後に仏教に取り入れられたものと考えられます。

 

 

三日の供養  茨城県猿島郡猿島町 

「猿島町史」 民俗編 第4章 人の一生  葬式以降の供養

 

葬式の翌日を「三日」といい、近隣の人たちや近親者が喪家に集まって三日の供養をする。この日から線香は二本あげる。葬式で死者が住職から引導を渡され初めて仏になる。それまでは迷わずに冥土へまっすぐ一本道を行くようにと線香は一本供える。この日、まず仏に手向ける団子を六個作り、それを持って墓参りをする。墓参りがすむと参会者は本膳で振舞いを受ける。食事がすむと亡くなった人の着物を水で洗い、しぼらずに家の日陰に北向きに干す。このとき着物が落ちないように藁を結んだ「ゆつら」を掛ける。着物は一定期間を過ぎると片付ける。この習俗は他所でいう「水かけ着物」といわれるものである。地区によってはこの日、葬式に借用した道具を返したり菩提寺にお布施を届けたりする。また何日か経ったあと死者が生前に社寺に立てた願いのうちで叶わなかったものを死後にまで持ち越さないように、近親者によって「願もどし」を行う。岩井市の弓田にある慈光寺の不動尊は別名「ぽっくり不動」といわれ、年配者に信仰がある。この寺への願もどしは、立願者が大願成就したお礼の意味合いが強い。また、願もどしをしないと、枕団子をゆでるとき浮いてしまう、といわれている(北生子)。

忌日供養

死亡した日より数えて七日めを初七日といい、以後七日めごとの忌日、四十九日間供養するのを忌日供養という。 葬式の日、菩提寺の住職が七本の塔婆に七日めごとの供養を記し、それを柄のついた枠に並べた忌日塔婆(または七本塔婆)といわれるものを墓地にさし、忌日供養の墓参りのさい一枚ずつ取りはずす。地区によっては塔婆を家に置き、忌日ごとに一枚ずつ墓地にさす。初七日には近親者によって、死者が生前着ていた衣類や持ち物を分ける「形見分け」をする。この行為は、死者の霊魂を継承するため、霊魂が籠りやすいと考えられる衣類などを分けるものだと考えられる。三十五日めの五七日忌の供養を「ハツゼンチ」とか「ハツデイニチ」といい、牡丹餅をつくってそれを草履の裏にぬりつけ、それを杖に吊るして墓に供える。死者が剣の山を登るとき滑らないためにといわれている。四十九日めの七七日忌には死者の魂が家の棟を離れるといい、この日をもって忌の期間の区切りとする。祭壇を片付け、位牌を仏壇に納め、神棚を覆い隠していた神塞ぎの紙も取りはずす。地区によっては餅を搗き、四九個丸めて竹籠に入れ菩提寺へ納める。これを「四十九餅」という。

 

 

 

菓子処みやもと おもしろ和菓子辞典 静岡県袋井市高尾町3−11

四十九饅頭と四十九餅
   四十九日の法要の時にお寺にお供えするお饅頭とお餅です。
   基本的に、お饅頭でもお餅でもどちらでも大丈夫です。
   できれば、レイクゼンとオケショクも一緒に注文したほうがいいと思います。
   注文するのを忘れて、当日買いに来るお客さんが結構いるんですよ。

 

 

曹洞宗  11 四十九日の餅

 山形県最上郡真室川町大沢岩麓13番地 曹洞宗 長泉寺

http://www3.ic-net.or.jp/~yaguchi/menu02.htm

 七七日の中陰明けには四十九箇の餅をつきお供えします。十王経では死後の中有(中陰のこと)には七日七日ごとに冥界王の罪業を裁断をうけ次の生の生まれる処を定められるのだと説かれています。それで決まらない悪業障の霊は百日間苦界に堕して苦行を受ける。それでも決まらない者は一ケ年というように延長されるというのです。この為に七日七日ごとに菩提をとむらい一本づつ塔婆をたてての七本塔婆供養が行なわれるのであります。新亡霊の来世によりよい果報があたえられるように追善供養をし、そして四十九日には餅を供えて中陰明けをするという意味があるのです。日本人は餅は晴れの日の食物、神仏のたべられる食物という考えがありますから餅で生れ、餅で結婚し、死んで餅で成仏するというのです。この四十九日の餅は自他に残さぬ習慣で全部お寺に供えます。それは菩提寺で最後は成仏させて貰うという願いからでしょう。
 又、五十の餅をつき、ひとつの餅を兄弟同志で手で引きちぎっていただく引っ張り餅のならわしがありますが、これは親しい者だけで行ない、そうすることによって成仏往生を願う食い別れであります。引っ張り餅はほかに、マスの底で切るとか鍋のフタにのせて切る方法もとられ、食べ方は何もつけなかったり塩、ミソをつける方法や、餅をついた当日に焼いて会べるなどされ、これらの方法は日常忌みきらわれます。

 

表現文化社  http://www.sogi.co.jp/chishikihen/shuzoku/shuzoku4.htm

 

葬儀においては飲食が重要な意味をもっています。例えば「通夜振る舞い」と言われる通夜の飲食、出棺に際して(最近は、葬儀式に先立っての場合も多い)の「出立ちの膳(ワカレメシ、タチメシ、ナキワカレとも)」、火葬後の「精進落とし(精進上げ、仕上げ、忌中払い、お斎などとも)」とあります。
 飲食は人間の交わりを象徴するものですから、死者と食事を共にすることによって、死者と最後の交わりをし、別れを行ったものと考えられます。したがって、こうした飲食の席では、しばしば死者用にもお膳が用意されます。神と食事をすることで神の力をわが身に取り込む神人共食の観念が影響しているとの考えもあります。
 今では、周りの人への死者の供養のための振る舞いや葬儀を手伝ってくれたり、わざわざ参列してくれたお礼の意味が強調されていますが、そうした意味に加えて死者との食い別れという性格が色濃くあったものと思われます。
 また、飲食は、死者の魂を鎮め、死の穢れに対抗し、払う力があると信じられていたようです。柩を担ぐ人、湯灌する人、納棺する人、墓穴を掘る人、それらは死穢に強く染まると考えられ、しばしばこうした役割を担う人へはご馳走が振る舞われました。
 四十九日の忌明に作る「四十九(日)餅」は、他界に転ずる死者の霊との最後の食い別れとも、忌明を期した清めの意味合いがあるとも言われます。

 

 

 

四十九日法事の骨餅 沖縄ユタ http://www.ryok.co.jp/meinichi/sari/houji.htm
骨餅とは四十九日の御魂の餅のことです。その中で一つだけ大きな大
きな頭餅があり、お供えする時、天に(上)盛ります。これは人間の体
を支える骨格を大きく分けて数えられた遺体の代用ということです。
あの世へ生を受けせせるために必要な御魂の餅ということです。

『四十九日』の御焼香

「七ッ七日」です。死亡した日から四十九日目にあたります。

つまり「四十九日」は「忌明け」の日であり死者にとっては死後の運命

が決る日になります。といって、死んですぐにあの世へ行けるというわ

けではなく、四十九日間は中有(この世とあの世の中間の世界・中陰と

もいう)を漂い、四十九日目(満中陰)にしてようやく、あの世で生を

うけると信じられています。

遺族は死者の生前の罪を消してあげるため、冥土の裁判官たちの心証を

よくするため、七回の御焼香の中でも「四十九日の御焼香」は盛大に営

みます。

 

 

新城市誌民俗編  葬儀のしきたりに強くなろう。

http://www.shinshiro.com/sougi.html 愛知県新城市

四十九日

初七日、二七日、三七日と七七四十九日までは供養として七日目ごとにお経を上げ、墓地へ塔婆を立てる。これを「7枚塔婆」という。この間は霊魂が屋の棟を離れぬ といって喪に服し、死人の着た服をきれいに洗って北向きに曝しておく。女は針使いを休まぬ と、亡者が針の山へ登らねばならぬという。神社の鳥居はくぐらない。庚申講も1回休む

忌明(いみあき)  寺へ49日の餅を持っていき、その中から1つ下げてもらってくる。近親者に形見の品を分ける

瀬戸内仏具店 http://www.butsugu.co.jp/tisikiframe.html

徳島市東大工町2丁目19番地

四十九日の法要の時は四十九個の餅(団子)を供え、故人の旅立ちをお祈りします。

 

■弘前市・黒石市周辺の特徴 http://www.aomori-internet.co.jp/sibo/sougi.html 青森の葬儀


 通夜・葬式の司会は葬儀社の人ではなく、故人・喪主の友人がします。喪主は、火葬、通夜、葬式、法要の4回のあいさつをします。
 メデタ・・・葬式の際、遺族の男の人は背中の襟元に「メデタ」と呼ばれる5センチ四方の白布を付けることがあります。また、葬列に参加する女の人は頭に白い布を付けます。これらはいずれも喪服が白装束であった名残と言われています。
 仮門・・・一部の地域では、葬式の朝、玄関の前にカヤの棒で「仮門」を作り、お骨がそこを通ったらカヤを折ります。これは、死者を常時とは違う場所から送り出し、二度と帰ってこないようにするためです。 
 ヤシキモチ・・・埋葬には餅を1枚持っていき、埋葬が終わるとこの餅を向かい合って引っ張り、2枚にちぎれた餅を背中越しに投げるという風習があります。
 四十九日の餅・・・四十九日の法要の際は、団子を50個用意し、寺の本堂に49個供え、残り1個を山門に置きます。
 また、最近は少なくなりましたが、埋葬に出たあと、家の中で女の人がわらで作ったほうきを持ち、背中合わせで掃くまねをしたり、故人の着物をぬらして、北向きに衣紋掛けにかけておくという習慣もあります。

 

葬儀の後始末

地方別にみる忌明けと香典返し 資料提供 シャディ冠婚葬祭相談室
◆北海道地方
   北海道は,一般的に忌明けは四十九日で,この日に僧侶を呼び,法要を行います。道南地域や沿岸部では,この日に「四十九日餅」という餅を祭壇に飾り,法要の後参列者に配ります。
   香典返しは,道内のほとんどの地域が即返しで,香典の金額に関係なく,300〜500円程度の品を贈っているようです。
◆東北地方
   青森県では,忌明けは七七日でしたが,最近では三七日に繰り上げるのが一般化しています。
   岩手県では五七日を忌明けとすることが多く,この日の法要に重点が置かれています。
   福島県では,忌明けは七七日ですが,この日までは,餅をついてはいけないという習慣が県内全般にあったようです。
◆関東地方
   茨城県では,七七日を忌明けとするところと一年目を忌明けとするところがあります。群馬県では,七七日を忌明けとし,四十九日餅を用意して寺へ納めたり,参列者に配ったりします。
   群馬県の香典返しは,香典の金額に関係なく,一律三千円〜五千円程度を即返しする例も見られます。
   埼玉県では忌明けを「ぶくぬき」とも言い,四十九日目に法要と埋葬が行われます。
   東京都では,忌明けは七七日で,この日に埋葬と香典返しを行います。
   神奈川県・横浜市では,七七日に埋葬と香典返しをするのが一般的です。
   関東地方では,香典返しの表書きは「志」や「供養」で,お茶や酒,海苔,シーツなど二〜五千円程度のお返しが一般的です。
◆北陸地方
   北陸地方の多くの地域では,忌明けは七七日ですが,一部の地域では,忌明けが男女で異なるところがあります。例えば,石川県や福井県の嶺北地方では,男性が七七日,女性が五七日とされています。
◆甲信・東海地方
   山梨県では,忌明けは七七日で,四十九日餅を用意して寺へ納めます。
   長野県のほとんどの地域では,七七日を忌明けとし,生活は通常通りに行いますが,実際に喪が明けるのは一年たってからと考えられています。
   香典返しの金額は,二千円程度が一般的で,香典が二千円以下の場合は,お礼のはがきのみというケースが多いようです。
   静岡県では,忌明けは七七日ですが,繰り上げて五七日にする家もあります。忌明けには,親戚や知人を招いて法要を営み,香典返しを行います。金額は,半返しか三分の一程度。表書きは「志」にして,タオルやシーツなどの繊維製品や食料品などをお返しとする例が多く見られます。また香典返しを葬儀の際に返す即返しも多く行われています。
   沼津市では,四十九日餅を菩提寺へ納めに行きます。
◆近畿地方
   三重県では,忌明けは七七日あるいは五七日で,忌明けを「満中陰」「仕上げ」などと呼んでいます。七七日には「仕上げの念仏」という法要を行い,この日を目安に香典返しを行います。
   松阪市の沿岸部では,お返しの品のかけ紙に故人の戒名を記した短冊を添える風習があります。
   滋賀県では,七日ごとの供養の日数を,死亡の前日から数える地域と当日から数える地域があります。七七日が忌明けで,「ひあけ」「中陰明け」などと呼び,法要を行ったあと埋葬します。喪家は,忌明けの法要のときに,参列者に引出物を用意するとともに,香典返しを発送します。表書きは「満中陰志」「忌明け志」と記します。
   京都府では,忌明けをふつう七七日としていますが,京都市では三か月にこれがまたがるのを避けて,五七日に繰り上げます。香典返しの水引の上から,故人の戒名と施主の氏名を書いた短冊を貼るのが一般的です。
   大阪府では忌明けは七七日です。大阪市の一部では,法事に招かれる人々が,あらかじめ参列する人数の供物を持ち寄って祭壇に供え,帰りにそれを分配する風習があります。持ち寄る品は石鹸や醤油などの日用品が主になります。
   近畿地方では,葬儀の日に粗供養として五百円〜千円程度の品物を「志」の表書きで渡します。香典返しは四十九日以後,半返しが目安で,「満中陰志」の表書きにします。ちなみに半返しの場合,五千円以上ならタオルケットや肌布団などの繊維製品を,五千円以下には洗剤や石鹸,食料品などが多く利用されています。
◆中国・四国地方
   鳥取県では,忌明けは七七日で,「忌み明け」と呼んでいます。香典返しは,葬儀当日の即返しが一般的ですが,鳥取市などでは,後返しを行い,葬儀当日は「茶の子」と表書きした品を参列した人に配ります。
   広島県では,忌明けは七七日で,三か月にかかるときには五七日に繰り上げます。法事は「茶の子」と言い,忌明けの法事は「茶の子」「満中陰志」と表書きした引出物を用意しますが,水引の上から戒名を記した短冊を貼るのが一般的です。
   愛媛県では,忌明けのときに「形見分け香典返し」として約半返し程度の品を贈る習慣があります。贈る対象は,近親者や特別に親交のあった人で,そのときの表書きは,「形見」「志」あるいは「満中陰志」です。
◆九州・沖縄地方
   佐賀県の忌明けは七七日ですが,県内での香典返しは初七日あるいは七七日に行います。
   大分県では,忌明けの法要を七七日に行いますが,親族や知人,隣人を招いて会食し,「茶の子」と表書きした品を引出物にします。
   一般的に九州地方の香典返しは,四十九日がすんでからの後返しが多く,金額は香典の半額程度です。選ばれる品には,タオルや石鹸,食料品などの実用品が主流となり,表書きは「忌明け」「志」「満中陰志」です。

葬儀の特徴〉

一般的に火葬は葬儀の前に行う。

最低でも7日間は祭壇飾りをそのままにしておく。

(山形・米沢地方)

納棺の時に、仏にボロボロの着物を着せる。

出棺の際は、玄関を使わず、総て他の出入口を使う。また、お骨が帰ってきた時には、出入口には塩と味噌とが置かれる。

「ひっぱり餅」(葬儀のあと、つきたての餅を四方八方からひっぱる)、「あぶく米」(お米をお盆の上に山盛りにし、その上にお布施をのせて供える)、「カラ臼をつく」(成仏してくださいという意)というような風習がある

 

 

http://ao_zatsu2.tripod.co.jp/write_flame.htm 餅の話し

http://ao_zatsu2.tripod.co.jp/write/mochi_44.htm
生まれて一年目の初めての誕生日を祝う誕生祝いは古くから行われてきました。産婆さんや親戚の人を招いて祝うのですが、この日に幼児が早く上部に成長するようにと、誕生餅を搗くところが多いようです。
ところが。
幼児が誕生日前の早い時期から歩き出すのは、親をしのぐとか家を離れるとか言われまして良くないことだと考えられていたところもありまして、そういう時には、一升餅を背負わせて座らせたり、餅を投げつけて歩かせないようにしました(^-^;
この風習は東日本で多かったようですd(^-^;
7歳になると一人前の扱いを受けるようになりまして、この頃が心身共に重要な境目とされ、氏子入りして村の一員として認められるようになりますd(^-^)
人にとって三代行事っていうのは、正月・婚礼・葬式だそうですが、婚礼の場合はその前後にも多くの餅が使用されます。
嫁が婚家に落ち着くための餅とか祝宴の餅、互いの縁を深めるための贈答の餅など、餅まみれですヾ(^^;)
初婿入りという婚礼に先立って行われる、婿が嫁の両親と親子固めの杯を交わす儀礼があるのですが、そのときに婿が嫁方に餅を送る所もあります。
嫁が初めて婚家に入る際の入家式では、嫁に一生落ち着いてもらいたいという婚家の願いと嫁の不安を取り除くための呪術的な儀礼が行われます。
そういった儀式の一つに嫁を餅つきで迎えるという所もあります。
このときに搗いた餅は祝宴の終わり頃に婿と嫁の膳に出されますd(^-^)
一個の餅を交互に食べるのですが、これは婿と嫁がともに同じ餅を食べあうことによって結合を強めようとした狙いがあるみたいです。
婚姻習俗語彙の嫁の食物という項目に、三三九度以外に嫁が食べなければならない食べ物、嫁婿二人で食べなくてはならない食べ物に、全国的にかなりきっちりとした共通点があると出ていまして、その中にいくつかの餅や飯が出ています。
たとえば、落付雑煮、落付吸い物、落付の餅なんかでして、座に着きますとなにより先に嫁が必ず食べる丸餅を入れた澄まし汁です。
婚礼後も餅の贈答がいろいろとありますし、初めての嫁の里帰りの時には、嫁が餅をもって帰りますし、戻るときも餅をもって帰ってきました。

これまでみてきたように、餅は人生の節目節目で用いられるアイテム(^-^;なんですが、人生の最後を締めくくる儀礼といいますと葬式ですd(^-^;
凶事である葬式や忌明けにも餅が搗かれました。
人は生命を授かったときから餅から霊力をうけて、人生の節目節目でその霊力を更新させてくるのですが、最後の締めくくりもやはり餅なんです(^-^;
こういった葬送習俗の中にいろいろな餅の利用法があるわけでして、死者の凶報を受けた同い年の人はすぐに耳塞ぎ餅を搗くという風習が全国にあったようです。
耳塞ぎと餅を搗くということの関係なんですが、餅を搗くということには、新年を迎えるという意味もあるわけで、これによって死者と年齢を違えるという目的があったようです(^-^;
この風習は室町時代には既に見られるようになっています。
葬式の当日に死者と食い別れの儀式があるんですが、そこで餅が使われることがあります。
四つ餅とか引張り餅と呼ばれるものなんですが、埋葬儀礼の後に、新墓の前で兄弟か近親者が餅を引っ張り合ってちぎって、後ろを見ずに投げ捨てる風習です。
この種の餅について柳田國男氏は、四つ餅は死者の食べ物であるが、喪屋が作られていた時代には、子供や兄弟が墓の周りに残って共に食べていたものが、後にそういった親族も里の人たちと一緒に帰るようになって、後ろ手に投げ捨てるような形に変化したものだと述べています。
また、引き合い餅について、五来重氏は、墓に群がる霊鬼や餓鬼への饗供ではないかとの考えを述べています。
千切っては投げというのを繰り返すのは、手強い相手に対抗する原始的な動作をあらわしており、多数の餓鬼に分割して投げ与えるという目的ではないかとしています。

四十九日も、本来は四十九の餅と笠の餅を作って死者との食い別れをして、普段の生活に戻るという儀式でした。
一臼の餅を搗きまして、それを49個の小餅にするのが現在では多いらしいのですが、元々は忌に参与した人の間に分配したもので、49と言う数は後から決まったみたいですd(^-^;
この餅は独特の作り方をするのですが、これまた上記の様に笠の餅をかぶせるという風変わりなものでもあるわけでして、この笠状の大餅は笠餅とか親餅と呼ばれて、一般的には死者のための餅とされています。
この49個の小餅も笠餅も死者の体をあらわしていて、小餅は体の各部分を、笠餅は全体をあらわしていて、特別な方法で切り分けられた笠餅は、元々は死者の肉体についた荒魂を依り憑かせて去らせるためのものだったことから、食べると言うよりは遠くへ後ろ向きになげるものでした。
ところが、この死者の穢れを移した餅に呪力を認めるような信仰もあり、餅を配るようになったのではないかとのことです。

人間は誕生したときから餅の霊力によって節々で霊魂を更新し、最後の死に際して、その餅に死者の霊魂すべてを集めて去らせ、死者と絶縁するという形になったのではないかとのことですd(-。-)

 

 

 

日蓮宗新聞

(問)先日、主人の四十九日と納骨の法要を営みました。主人は農家の三男ですが、サラリーマンとして都会で生涯を終えました。寺は近所にあります。お尋ねしたところ、四十九日については、何もないとのことでしたから、法事と同じようにお供え物をいたしました。ところが主人の実家の者が大勢まいりまして、四十九の餅を供えなければ供養にならないといって持参してきました。さらに驚いたことに、法要後、お供えした餅の中から一番大きいのを勝手に取り上げ、皆でひきちぎって食べ始めました。お前も食べろと、いわれるままにいたしました。私はわけもわからず、意味を尋ねることもできずに困惑いたしました。そのためか、何か釈然としません。なぜこんなことをするのでしょうか。
 (答)四十九日(または葬儀に)にお餅を供える風習は、全国的に行われてきたものです。そして、大きいもの一つ、小さいもの四十九(または四十八)で、大きいものは持ち帰るか、その場で分けて食べるというしきたりも広くありましたし、今も厳として行われています。近年、東京などの都会地では全くなくなってしまいましたから、びっくりなさったことと思います。
 ただ、この餅の由来については、仏教から出たものではありませんから、なぜこうするのかは、よくわかりません。仏典によると引用し説明した本もありますが、確実な仏典ではありません。共通しているのは、四十九個の餅が人間の骨格を象徴していることです。
 食べ方も色々です。手でちぎって食べたり、塩(素直は砂糖、多分、葬儀なので正反対の塩)をつけて食べたりといった具合です。また人形に見立てて、頭、胴、手、足などに切り分け、故人の遺徳を偲んで食べることもあるそうです。これらはかつて死者との別れに際し、共同体で「食い別れ」という聖なる食事が行われ、死者との訣別としたことの名残と考えられています。
 いずれにせよ、体験で故人との別れを認識にていくための通過儀礼ですから、迷信に過ぎないなどと、否定してしまうわけにもいかないものがあります。(丸)