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日頃檀家さんからよく尋ねられる事柄

高野山真言宗大阪自治布教団の研修会で出てきた疑問質問に、常福寺松尾光明が答えてみました。

仏壇それ自体について

(イ) 材質について(真言宗としては唐木か漆塗り金仏壇か?)

真言宗だからこの材質と言うことはありません。中のお道具で宗派の違いが少しあります。

仏壇はそのお家にあったものを求められるのがよいので、大きい小さいや材質等で善し悪しを判断しない方がよいと思います。

(ロ)奉安する場所方角についてとその吉凶。(家の中で何処でどちら向きに、高さは、仏壇の天井の上はどうする、祀り場所の移動は?)

仏の教えとしては、方角にとらわれない事を良しとするのですが、日本の風習として北向きを嫌う流れがありますので、強いて言えば北を外す方が良いかもしれません。但し仏壇はその家の中で調和し家族と共にあることが良いのですから、その方を優先すべきときは北向きでもいっこうに構いません。水気の多いところや直射日光が当たる所などは避けたいものです。

高さは拝む方が落ち着いて礼拝できるようにしましょう。高すぎても低すぎても拝みにくいのはいけません。タンスの上でも結構ですが、その場合は椅子を用意いたしましょう。

仏壇の上の天井に「雲」「天」等と書いて紙を貼っておられますが、特別に決まったものではありません。

仏壇の移動は家内ならば、静かに移動すれば問題がないと思います。家移りするのならば必ず作法に従って、お性根抜きをしなければなりません。

(ハ)扉の開閉について(日々いつ扉を開け、いつ閉じるのか。又中陰の間は?)

仏壇の扉の開閉は特に決まっているわけではありません。ずっと開けておきたい人と、夜閉めて、朝開けたい人がいて構わないのです。そこのお家の方針で結構です。閉めたら寂しいかなと思われたり、けじめをつけようと思われたり、その家なりでいいのではないでしょうか。

部屋の掃除をするときなどは、ほこりが入るといけないので「ごめんなさい、閉めますね」と、言って閉めて下さい。

中陰の間に仏壇の扉を閉めるという風習があるようですが、何時・何処から始まったのでしょうか。神棚を半紙で隠すということと同じに考えたのか、新仏ができたので、それに集中するためにと思われたのか、お寺側にはその根拠が見あたりません。そもそも仏壇に休みはないのです。扉を閉め続ける理由など何処にもなく、逆に開けてあってこそのお仏壇です。仏壇にはどの宗派にも「本尊」様が祀ってあります。真言宗にも「大日如来」がお祀りしてあってお家の繁栄と、無事息災を護って下さってます。ご先祖様も本尊様と共にあって、家族を見護って下さってます。しっかり暮らしている姿を、本尊様やご先祖様に見て貰う。これが家に仏壇のある暮らしではないでしょうか。

お位牌について

(イ)どの位置に並べ祀るのか

仏壇の大きさやお位牌の数にもよりますが、数段あれば、一番上が本尊壇、次が位牌壇と考えて、その下にお供物やお花を供えると考えるのが良いのではないでしょうか。

(ロ)精霊の居場所は?(お盆には精霊様が家に戻られると言うが、いったいどこから・・・お墓から帰ってこられるのか、とすれば日頃は位牌には宿っておられないのか?)

精霊は私達の故郷である、阿字の世界・大日如来のもとにおられるのです。浄土へ往生されたのです。ですから、どこから帰ってこられると聞かれれば「浄土」からということになります。精霊のおられる浄土は虚空に満ちていて、気を集めればそこに来て下さいます。位牌の前でも、お墓でも、本堂での法要でも、又、別に何もないところでも、気を集めれば来て下さいます。ドラエモンの「どこでもドア」のように・・。

お盆には浄土から帰ってきて下さいます。但し大事なことは、ちゃんと迎えてあげればと言うことです。帰ってこられるから、お盆をするのではなく、帰っていただくためにお盆をするのです。帰っていただいて、貴方亡き後も家族仲良く暮らしています、久しぶりですのでどうぞ一緒に食事をしたり、団欒の中でお過ごし下さい。これがお盆の心ではないでしょうか。

ご本尊について

(イ)なぜ真言宗は大日・不動・弘法の三尊なのか?

(ロ)大日にかわり、中央に十三仏を祀ることについて(殊に四国など地域性について)

最初に何も決めなかったのが正直なところでしょう。大日如来と弘法大師と十三仏。どれが中央に来てもおかしくないと思います。現在の形になったのは十三仏の代表としての不動明王の登場があると思います。今の形を意義付けするならば、普門総徳の法身大日如来を中央にして、宗祖弘法大師を上席の向かって右に、供養の仏集団十三仏の代表として不動明王を向かって左に配して、三尊形式を作って形を整えた、というところでしょうか。

お供えについて

(イ)供花は造花では駄目?(寺院でも常花を供えているが)

お花は仏前荘厳だけではなく、花の徳「忍辱」を供えているのです。生き生きと咲いている花には、そこまで到る長い月日があり、風雨にさらされ、気温の変化がありしても、じっと自分の季節を待ち、力一杯咲いて見せた徳があるのです。仏前荘厳だけなら、常花のようにしてもいいのでしようが、生きている花でなくては、徳が伝わらないばかりか、生あるものは必ず滅する。すなわち生きた花は枯れることによって諸行無常を示して下さっています。できれば季節の花を、たとえ一輪でも良いから、生き生きとした花を供えたいものです。

(ロ)線香は何本?焼香の仕方(回数や所作)

お線香は何本立てるか、ということより、何故お線香を立てるのかを考えてみましょう。即ちお香を供えると言うことです。元来が粉末であるお香は、灰の上に筋状に盛り火をつけたものですが、それを簡易にしようと糊で固め棒状にしたのがお線香です。お香を供えるとは、その香りを供えることで、経典に「仏は香を食とする」とあります。問題は本数ではなくて、どんな香りを供えてあげるかです。

しかし、本数については枕経とお通夜には1本線香という形があったり、普段は3本にして仏・法・僧に供えるとか言うことがあります。濃いにおいのお香は多すぎますと不快になりますので、少量でいいのですが、普段は2本か3本お供えされたらいいと思います。

又、お香には精進の徳があると申します。端に火をつけたら休まず、怠ることなく、身から良い香りを発し続けていきます。今日一日私もお香のような香りを出すことをお誓いいたしますと言って、お線香を供えてみてはいかがでしようか。

長いお線香は折ってもいいですし、立てなくて寝かせても結構です。

焼香の回数も真言宗では特に厳しく申しません。他宗ではたとえば浄土真宗本願寺派は1回、真宗大谷派は2回、いずれも押し戴かず行う、というように本山で規定しておりますが、真言宗の場合は、少し押し戴いて多くても3回というようなことではないでしょうか。

(ハ)お仏飯・お茶湯はいくつ(お茶か水か)

位牌の数だけと言ってみたり、本尊三体だから三つと言ったり、位牌と本尊の数だけとか、色々です。決められた数があるわけではありません。要は、本尊と先祖に供えるのですから、仏壇の大きさに合わせて決めればいいでしょう。一つでは寂しいですから、まぁ三つぐらいですか。お茶か水かと迷うのなら、どちらもしてあげて下さい。湯飲み三つの内、二つにお茶一つに水、もしくは三つともお茶で、もう一つコップでもいいですから用意して水を供えてあげましょう。

ご飯は禅定の徳、水(お茶)は布施の徳です。

(ニ)お霊供膳はいつ、いくつ、どちら向きに、又そのふたはどうする?

お霊供膳もお供えですから、向きは仏様が食べられるようにです。仏様側に、ご飯とおつゆそしてお箸です。ふたはしたままお供えし、お坊さんが取るのがいいのですか、家族だけの時は供えた後に「どうぞお召し上がり下さい」と言ってとりましょう。お坊さんは作法がありますよ。

いつするかということですが、特に決められてはないのですが、法事・彼岸・お盆・祥月などはしてあげたいものです。毎月の命日にされるお家もございます。

(ホ)お下がりのお仏飯などはどう処分するのか?

お下がりのご飯は粗末にせずに、食べなくてはならない。或いは何らかの方法で無駄にしてはいけない。たとえば鳥の餌にするとか・・・。というのが本来かもしれませんが、今時の食事環境を考えると、難しいようです。「ごめんなさい」と言って棄てる。充分感謝して棄てるしかないと思います。

(ヘ)打敷のかざり方、表裏の使い分け方は?

打敷の使い方には真言宗では使う・使わないの両論がありますが、世間の様子からして四角いのを使用してもいいのではないでしょうか。裏を使うというのもあまり感心しないと思います。

(ト)精進以外のお供え物の是非(殊にお酒など戒律とのかねあい)

四十九日の白木の机の上、仏壇の中等は、戒律というか作法というかに従って、精進を指導します。机の下或いは横、仏壇の前或いは横等、少し離してお盆に載せて精進以外のものを供えて貰います。自分たちが食べる前に供えて、お下がりを戴くという形がいいと思います。家族でお寿司を食べるときは、まずお供えをして、すぐにお下がりにして戴く、気持ちとしてはそうしたいと思いますので、精進以外も大いにしてあげたいと思います。お酒もそうです。出来るだけ何でも封を開けて、食べられる状態にして供えてあげましょう。勿論仏の世界は精進であると言うことを理解した上での行いです。

お骨について

(イ)納骨の時期と、それまではどこにどのようにしておくか(いつまで手元に置いて良いのか)

納骨の時期を明確に示す教えはないと思います。その家の風習・地域の風習にかなり左右されると思います。一番早い納骨は、お骨拾いをしてそのままお墓に納めに行く。家には持って帰らないというところがあります。それから後は様々で、すでにお墓があるかどうかの違いもあります。お墓があれば、四十九日とか百ヶ日、季節として暖かくなってからとか、お彼岸とか。一周忌・三回忌。私はいくら長くても三回忌までには納骨しましょうと、そうでなければお墓のある意味が無くなります。離しがたい気持ちを整理するのもお墓がある意味です。置いておく場所は粗末にならなければお家でも良いのですが、大きい方のお骨は納骨までの時間ならお寺で預かって貰うということも考えられます。小さい方は仏壇でもいいのではないでしょうか。

(ロ)遺影はどこにどうすればよいか(仏壇内において良いのか)

遺影は故人を偲ぶものの一つと考えるならば、仏壇内に小さな写真立てでお飾りしても良いでしょうし、仏間の高いところに飾っても良いと思います。タンスの上に置いてお花をお供えしておられる方もおられます。難しく考えずにたまには写真を入れ替えたりしていただいていいのではないでしょうか。

その他

(イ)姓の違う霊を一緒に祀っても良いのか(他家の霊を始め、縁故者その他)

この問題は大いに「もめる」ものの一つです。

姓の違う霊を祀るといけない。先祖が喧嘩する。霊が迷う。誰か身たんか!と言いたくなります。縁あって一つの仏壇に姓の違う位牌がある。これに何の不思議もありません。抑も夫婦は姓の違うものどうしが一緒になっているわけで、双方に親も先祖もあります。嫁がした娘も姓は変わっても我が娘であることに違いありません。前の檀那が姓の違うのも当たり前。そう言い出すと縁ある仏を祀ることの不思議はないようです。

(ロ)お札やお守りはどこに祀れば良いのか

お札は旧家に行きますと玄関の入り口の上に「お札箱」がもうけてありそこに入れてあります。お札やお守りにも種類があるのですから、その内容に合わせて祀りたいものです。家内安全なら玄関とか家の中心とか。火難除けなら台所。星祭りのお札なら個人個人で祀る。何もかもまとめて重ねて祀るのはどうかと思います。又、何でも仏壇の中というのも考えもので、それではお札やお守りが泣いていると思います。受けた限りは大事にその趣旨にのっとってお祀りしてあげたいと思います。

(ハ)他宗教のお札や位牌の類を縁者などから、付き合い上、義理などから受けたが、その扱い方

これも有り難いような有り難くないようなことですね。信仰・宗教は個人ですから考えないといけないことと思います。でも貰ってしまった。一つはそう気にならないのならお祀りしてあげましょう。気に入らないのなら、つきあいの度合いによっては、断ることですが、断れないのなら、檀那寺に相談してみましょう。多くのお家で何だかよくわからないけれど、と言って古いお札の類が沢山仏壇の引き出しに入ってたりします。早い目に檀那寺に相談して処分して貰いましょう。

(ニ)年忌の勤め方---年次の順(23・25・27回忌はどのように)

1周期以後は3と7ですすんでいきます。25だけが後世に出来た法事だと思われます。これは23と27の間を取って25で済ます。という考え方だと思われます。抑も3と7は中国に於ける、吉数と願望成就数で、その数を利用して亡き人のあの世での幸せを祈ることに利用したわけです。この25回忌の法事は23と27をするのなら別にしなくても良いと思います。