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お寺のアレコレ


地元の小冊子に書いたお寺のこと少しです

 

丸坊主

お坊さんの坊主頭には2500年の歴史があります。お釈迦様がお住まいのお城を出て、苦行の林に行かれたとき。当時の風習で「落飾(らくしょく)」されました。落飾とは、文字通り飾り物を落とすこと、飾り物を身からはずすことです。髪飾りも、首飾りも、来ているモノの装飾、お化粧、香水もすべてです。髪の毛も飾りですから、それも剃り落とされた。ここから出家修行するモノは、今の丸坊主にするようになったのです。

 

数珠(珠数)

これは字の如く、数を取る珠です。お釈迦様が木の実に糸を通して陀羅尼の数を取るように言われたのが始まりです。又、念ずることから念珠とも言われます。基本は百八珠で、百八煩悩を断ずると言われています。

 

お経

お釈迦様が説かれた教えを、後に弟子達が集まり(結集)書き留め編集したもの。お釈迦様は相手に応じて(対機説法)、色々な形で、方法で教えを説かれたので一つの教えでも幾通りもの表現方法があった。故にお経の量は膨大なモノになり、俗に八万四千の法門と言われている。

 

合掌

「右仏 左は我と 合わす手の うちぞゆかしき 南無のひとこえ」

合掌とは、仏様と自分とが一体になることです。心の底から信じ、従うことの表れです。静かに胸の前で手を合わし礼拝する。そこに仏様と通じる心も生まれてきます。

 

仏像(如来 菩薩)

仏像の姿、形はモデルがあります。お釈迦様です。お釈迦様がお城で生活しておられた太子の時の姿が菩薩で、出家修行され悟りを開かれたお姿が如来になっています。観音様などは優しさを前面に表す為に女性のように作りますが、あくまでモデルは青年時代の釈迦。仏像には男女の別と言うより、お釈迦様をモデルにして、そこに真理を表現する工夫をして色々な姿形を作ったと思って貰うのがいいようです。

 

袈裟

僧侶が身につけます袈裟は、その昔お釈迦様が小高い丘の上で弟子達を集めてお話をしておられたときに、弟子の一人が服装について尋ねたときに、丘の上から下に広がる田園風景を示して、あの水田と畦道と水路の如くに布を縫い合わせなさいといわれました。田が真ん中にあってその周りを水路と畦道が取り囲んでいるように。これは、田を耕しよく管理をすればそこからは立派にお米が収穫できる。私が説き示すところの福を得る教えとは、自らの田を耕せと言うことだ。何処か余所に福を求めるのではなく、自分自身が福の固まり。それを耕しよく管理するなれば、充分に福を、幸せを得ることができるということなのです。袈裟のことを別名福田衣(ふくでんえ)と申します。

 

仏壇

仏壇は各宗の御本尊様を祀るところです。その御本尊様に御先祖様達が護られておられるという姿を示したものですから、一番大切にするのは御本尊様です。よく、お葬式の時や四十九日の間に仏壇の扉を閉めるといわれますが、御本尊様に休まれては亡くなられた方が寂しい思いをされます。地方によってはこのような風習があるようですが、お仏壇の扉は開けておく方が良いと思います。

 

仏壇の祀り方

お線香・・・よく聞かれる質問にお線香の本数があります。何本たてるのでしょうか?と。宗派によっては寝かせるところもあるようですが、問題は本数ではありません。数を供えるというよりは、香りを供えるのが本義ですから、二本でも三本でもいいわけです。良い香りを本尊様にも御先祖様にも味わっていただくのがお線香です。さらに、お供えした自分も「今日一日 良い香りで過ごせますように 周りの人達に不快な香りを感じさせないよう 精進して一日勤めます」という誓いを立てるのも、お線香を供える徳かと思います。

灯明・・・ローソクは灯りを取る為に供えるのですが、自分の身を焦がして周りを明るくする徳があります。仏教でいう智恵の徳です。知恵は誰しも持っているのですが、磨かないと光りません。自分の智恵は自分で磨き、より多くの人々にその明るさを伝えていきますという誓いを示すのが、ローソクに明かりを灯すことになります。

お花・・・お花を供えるということからいえば、お花の表は仏様向きなのですが、これはお花が持っている忍辱の徳を拝む私達に示す為にわざとこちら向きに供えるのです。花は暑い日も、寒い日も、雨の日も、じっと耐えて咲く準備をしています。春に散った桜も、散った直後から来年の準備を始めています。私達の暮らしのなかには、辛いこと思うに任せぬ事がたくさんあります。それを避けて通ることはできません。時にはじっと我慢の子になるしかない。でも、その次には貯めたエネルギーいっぱいに咲く準備をしていけばいいのです。花は私達に忍耐・辛抱、そして自分の花を咲かせなさいと教えてくれています。