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死んだらどうなる

 

院主さん ちょっと聞きたいんですけれど

 

何や


あのー 死んだらどないなるんでっしゃろ

 

又突然やな

 

いや すんまへんけど どうしても聞きとうて 

 

死んだらか それは あんたも聞いたことあるやろ あの世に行くんや

 

はぁー   その あの世は何処にあるんです

 

この世にあるんや

 

えっ この世にある

 

そうや この世に

 

違いまんがな 死んだら行くとこでっせ

 

そやからあの世やろ 

 

そう あの世  そのあの世は 何処にあるんですいうて 聞いてるんでっせ

 

この世や言うてるやろ

 

何や ようわからんな 何であの世がこの世にあるんです

 

説明してあげよ 右手 こぶしに握ってみ

 

へい

 

それがこの世や

 

はいはい

 

左手 それもこぶし握ってみ

 

へい

 

それが 死んだら行く あの世や

 

へっ これが 

 

そうや

 

でも 繋がってまっせ

 

そうや 繋がってる

 

えっ あの世とこの世は 繋がってるんですか

 

そうや 繋がってるんや

 

トンネルか何かで

 

いやいや トンネルも道もない あるとしたら 私らのあべこべの世界にあるんやそうなあべこべ 裏やな 

 

 

そうや 左右 上下  朝と晩が逆の世界やそうな そこで生きているときと同じように暮らしているらしい

 

家族と暮らしてるんですか

 

そう

 

なかように

 

そう

 

ほんなら 先に死んだ親にも会えるんでっか 

 

会えるんや 

 

帰ってはこられへんのですか この世には

 

古い古い時代から あの世に行ったらな 祖霊という神となり  子孫に多大な恩恵を及ぼす存在となる 正月の鏡餅を飾って迎えるのは この祖霊さんや 年神様 お正月様というのは 同じこと 先祖の魂を呼んでるんや 一家が栄えるように 子孫が繁栄するように 五穀豊穣でありますように みんな祖霊となって帰ってくる これが 古代からの日本人のあの世観 仏教ではそれを 仏になると言うた そして帰ってくるのに この世でするのが供養やな これを先祖供養というわけや これをせえへんと 帰ってきてくれへん さっき言うた お正月の鏡餅 大きいても小さくてもええ ちゃんと供えて家族で迎えたら 帰ってくれはる お盆もそうやな 迎え火焚いて お迎えしてこそ帰ってきてくださる 有り難いな 

 

なるほど 先祖供養でっか

 

先祖供養やな でも どちらかというと このスタートは自然宗教と言える 

 

自然宗教

 

そうやな 自然を見つめて感じたことや 天地 日月 草木 川 海 空 生き物 なぁ 太陽は朝に生まれ 夕方に亡くなる でも 又次の朝には蘇る 月は満月になっても 又欠け始めて 薄くなり 真っ暗になる でもしばらくすると三日月から 上弦の月になり 満月になって 一晩明るく輝く  花は散っても 来年又咲く 木は枯れても 種が新しい芽を吹く 血が通い・成長する命が無くなっても 根本的ないのちがある それは姿を変えながらも 又生き始める 
遠い昔から人はおごることなく 謙虚に自然と付き合い いのちの流れを観じ 儀式をして 崇め 奉り 感謝して 時には宴を開き喜ばし 踊り 舞 歌う   今に残る各地の祭礼 盆踊りは まさにその姿やな

 

偉いもんでんな

 

今生きていると言うことは 自然と 神と仏と 先祖と 共に生きている言うことや

 

ホォー

 

先祖と言うても 目には見えへんやろ 言うならば 魂やな 魂と暮らしている 魂を祀ってる 魂が帰ってきてくれる これが日本人のあの世観 先祖観 自分の行く末の姿やな 

 

ええ 魂になりたいですな

 

おっ ええ事言うた それでないといかんな ええ魂になりたい まさにそこや 今までの話しは 何に対して 誰に対してかということや それは 生きているモノの生き様について どうあるべきかの話しやな

 

そうだんな

 

そうやろ 夢物語やない 今生きている私らが 如何に生きるか 如何に暮らすか 現実の毎日のなかで 何が どのように 大切かという事や ここへ来て初めて 真言宗の教え 即ちお大師様の教えが出てくるのやな

 

難しいですか

 

そら 少しは難しいやろ そやけれど 見方を変えたら 当たり前の事を当たり前にしていく 与えられたモノを大切にして 共に生きているモノ同士が仲良く助け合う そんだけのことやで

 

そんだけのことですか

 

言うてみたらな せやけど これが まっ 難しいという訳や 何でか言うたら 自分が先やからな みんな 自分やからな 

 

ああ そうでんな 自分可愛いからね

 

そこをどないするか ということや どないするというか 生きてるという原点に戻って考えてみる事 これが大事やな

 

生きているという原点 

 

そう 生きているとは 何ぞや  どない思う

 

へっ 生きているとは 何ぞやと聞かれても 困ったな

 

生きているとは 一人ではない 皆と生きてる 即ち 生かしあいしてる 生かされている ということや

 

なるほど 生かし合い そうでんな

 

一人では駄目 しかも 人間だけで生きているわけやない 動物も 植物も 大きく言えば 地球も太陽も 空気も水も みんな あってこそ生きてるんや 

 

ほんまにそうでんな 無いと困ってまう

 

無いと困るモノに対して 私らは どないしてる

 

どないしてる

 

そうや ちゃんと有り難いと思うて 大切やと思うて 大事に使てるかいうこっちゃ

 

そうですな あまり思てないような

 

ここで 思うかどうかは大きな差や 扱いが変わり 感謝するかどうかの分かれ目やね

 

ほんまに 分かれ目や

 

ご飯食べるときの 合掌して 声に出す 頂きます

 

うんうん

 

してもろたことにたいする ありがとうございます

 

うんうん

 

力貸してもろてる お世話になります

 

うんうん

 

支えてもろてる 多くの力に おかげさま

 

そうそう

 

まちごうた 迷惑かけた の すみません

 

ああそうやね

 

そして 朝晩のご先祖様へのご挨拶

 

うん

 

声に出してのお勤め 南無大師遍照金剛

 

うんうん

 

そやけど これらはみんな規則や無い 生まれてきたから せなあかんという 規則や無い 生まれて暮らして 人と共にある中で 自然と育ってくるモノや 本来備わっている心のはずなんや そやけど 残念ながら どういうものか なかなか心の中から一人で湧いてはけぇへんねん 

 

そうでんな

 

なっ 一人で湧いてくるモノやったら 宗教はいらん 生きるために必要な心の磨き方と養生 やっぱりこれがいるんや 遠い遠い昔にも それなりのものがあったやろう でも今は その教えを知る手掛かりが目の前にある 宗教や 我々で言うたら 真言宗 高野山 弘法大師さんと言う事や 他にもたくさんの教えがある 何処がええ 悪いやない 親鸞さんも 日蓮さんも 最澄さんも 他の方々もみんなみんな 生き方を示してくれてるやろ

 

なるほど

 

いのちは 生きている でも寿命は尽きる これは 何歳かで でもいのちはつながって私に 私の魂に来てくれた そして 私から多くの魂に受け継がれていく これが宗教や 魂の震え 魂の感動 魂の体験・想い出 そして 魂の輝き これや

 

これや

 

それや それやねん 何と長くつながり 何と長く有り難く 何と大きく輝いている これが 宗教の力や

 

なるほど

 

手を合わす事は 誰が最初にしたのか お辞儀する事は 誰が最初にしたのか きっと 最初にした人は 宗教と思てしてない 自然とそうなったんやろ ただただ 有り難いと思ってしたんやろ

 

そうやね

 

高野山から私らを見つめ続けてくださっている お大師様も ただただ 有り難くて 最初は手を合わされたんやろ かたじけなさに 涙がこぼれはったんやろ 礼を言い 心は感謝の思いでイッパイになりはったんやろ 

 

有り難いね

 

今の私らが ウカウカしてたら 次の世に 何もええ事無い 何もつなげて行かれへん 明日やのうて 今から つなげていく 有り難さを 尊さを 優しさを 今からつなげていかなあかん 死んだらどうなる そんな事言うてたら遅い 死ぬ前に覚悟しとかなあかんで

 

いつに

 

今や 

 

 

そう 今から 今 今日の今から 心の中に 倒れん柱を立てとかな それが 生きた ということになるんや 生きたとは 記録や無い 記憶や 感動と感謝や そして つなげていくことや 

 

なるほど

 

さぁ ほんなら 私は お参りにいくさかい 又明日にでもおいで 

 

わかりました

 

又明日話聞かせてもらいに来ますは

 

ああ そうして 気つけて帰りや ほならな

 

ええ話し ありがとうございました