当山の寺伝は、聖武天皇の天平三年(731 年)、行基菩薩がこの地に来られて一棟の建物を建て、
自ら本尊千手観世音菩薩を刻んで奉安したのが当寺の開祖であると伝えています。
二世海然大徳が深く密教の奥義を究め、種々の法験を現じたので多くの寺院がこぞって、この時代から真言宗に附嘱することとなりました。
また、古来より有名な当山の龍池弁財天もこの頃に勧請され、さらに牛頭天王(今日の神田八坂神社の祭神)の降臨したのは、円融天皇天元二年(979 年)五月と伝えています。
一条天皇の長徳四年(998 年)、当山の由緒に大変感心され、天皇直筆の「清光山常福寺」の寺社額を賜り、仏閣や僧坊が美しく整備されました。
七十余年を経て伽藍が荒廃したとき、源頼義が奏上して白河院の勅命をいただき、鎌倉権五郎景正が修復にあたりました(藤原景正銘の十三重石塔の礎石一片が境内にあります)。
さらに二百七十七年を経た後伏見天皇の正安三年(1301 年)、鎌倉幕府執権北条貞時が勅命をいただき、清原、清忠に命じて修理にあたらせました。
正鷹6 年(1293 年)、鎌倉幕府の執権北条貞時の時代、常福寺に「右衛門尉藤原景正」が宝塔を建立しました。
藤原景正は、戦国時代に池田地方を支配した池田氏の先祖と考えられています。現存する宝塔基礎は、宝篋印塔と考えられ、一辺78.5cm、高さ39cm で、鎌倉時代の数少ない石造物のひとつとされています。
池田市の重要文化財になっています。
戦国時代、天正六年(1578 年)十月、伊丹城主荒木村重が織田信長にそむいたとき、常福寺衆徒もこれに同心籠城したという流言があり、信長は激怒し、翌七年十月、伊丹城落城のときに常福寺を焼き払い、僧徒に与えられていた豊島・能勢両部の領地七ヶ所および荘園内の田地をことごとく没収しました。
寺僧たちは焼け跡に三棟の草庵を建て、雨露の難儀を嘆きつつ本尊を守護しました。
その後、池田光重がこの地に居城すると、当山の衰退を嘆き復興に尽力しました。
常福寺中坊跡薮一圓令免除候也 慶長七年(1602 年)三月十七日 池田弥右衛門光重」という自筆の寄付状が現存しています。
その後、本堂再建の旨沙汰があり、当時の珠徳院重海西福院秀尊玉蔵院景範たちは「歓喜踊躍す」と書かれています。
慶長十一年(1606 年)正月、本堂が完成し、願主光重より仏供料として年々五十石が下され、また毎月本尊宝前において法楽の能が催されたと伝えられています。
江戸時代に入り、天和二年(1682 年)新たに鐘楼が完成し、当時来朝していた中国黄檗の僧高泉が筆を振るい鐘の名前を刻しました。
幕末にいたって、寺の勢いは徐々に衰退し、明治に入って前記塔頭寺院三ヶ寺も次々に本山である常福寺に帰入し、三・四の末寺なども廃減してゆきました。
中興孝順和尚(明治三十六年より昭和二十八年一月まで住職)が、檀信徒の協力を得てこれらの旧伽藍を整備統合し、現在の常福寺の姿になりました。
寺の縁起によると、天平時代行基菩薩一刀三礼の作と称されています。
他方、数度にわたる専門家の研究によると、平安朝時代貞観期の造立と言われています。
貞観期は八百五十年から八百七十年頃で、約千百四十年前の造立になります。
御丈五尺三寸の等身仏、寄木造りで、頭上に二本の手を組んで、その上に本地仏である
阿弥陀如来の化身を頂いておられるのがめずらしく、一般に清水式といわれています。
さくらと思われる縦一材から頭部、体部はもとより、両手先、
三鈷剣の柄の下半、両脚部の大半まで彫り出し、内刳りは施していません。
地蔵の『摂津豊嶋郡青光山常福寺縁起』(慶長16年・1611年)に
長徳4年(998年)に七堂伽藍が整ったとの記載があるため、
本像の造立もその頃と考えられます。
不動明王は、大日如来が化身したものとされ、右手に剣、左手に綱を持ち、
火焔で汚れを焚き浄め、人々を守るとされています。
大阪・池田市の重要文化財になっています。
釈迦の入滅を描いた涅槃図の中では池田市最古のもので、室町時代初期と推定されています。
江戸時代の涅槃図は多数残されていますが、中世にさかのぼる作品は、このほかに二点しかありません。
釈迦の寝姿などに古い様式が見られる一方、周りの会衆や動物も多く、悲嘆が協調されるなど、
鎌倉以降の表現も見られます。この作品には、摩耶夫人の一行は描かれていませんが、
京都醍醐寺の涅槃図との類似も指摘されています。
1月15日 | 2時 | 大般若転読法要 星祭祈祷会 |
1月18日 | 1時 | 婦人会 |
1月20日 | 7時 | 大師講 |
3月17日 | 2時 | 春季彼岸会 |
4月18日 | 1時 | 婦人会 |
4月20日 | 7時 | 大師講 |
6月第二日曜日 | 1時 | 青葉祭り 弘法大師降誕会 福引き 奉納落語 |
8月16日 | 2時 | 大施餓鬼法要 |
8月24日 | 1時 | 地蔵盆 |
9月20日 | 2時 | 秋季彼岸会 |
10月18日 | 1時 | 婦人会 |
10月20日 | 7時 | 大師講 |
12月18日 | 1時 | 婦人会 |
12月20日 | 7時 | 大師講 |
12月31日 | 除夜の鐘 |
春・秋の彼岸会は彼岸の入りの日に行います。
行事日程は変わることがあります。